2015年2月26日木曜日

ロンサムボーイ、一兵卒へ



相変わらず夜型になったり朝型になったり、出鱈目な生活を繰り返し、もちろん煙草も止めないし、痩せないし、茫洋とした感じで色々なものに追われ、同様に様々を追い、仕込んでいたり、たまに爆発させたり、しています。

昨年の11月22日には念願叶って、酒田港座でテレクラキャノンボールの上映会を、それはそれは多くの支援に支えられる形で、実現できました。

東京では、「企画」という言葉を凄く自分の拠り所にしていたのですが、こちらに帰ってきて、なかなか日々のタスクめいた世間との折衷や労働に追われるあまり、全くそれを忘れて生きていました。

が、「テレクラキャノンボール」という現象に心を奪われて、会社の出張で東京に行き、9時まで人とあったりして、10時からレイトショーに行き、を繰り返す中で、映画一本見るのに「25,000円」程度の交通費をかけていることに気付き、更に、その「25,000円」を庄内で見たい作品や人に託せば、庄内のみんなと、庄内で映画を見れるかもしれない、ということに気付きました。

結果、カンパニー松尾監督に、「山形に住む僕が東京でテレキャノ見るのにかかる費用」を渡したら、庄内に来てくれました。

なんか、企画ってこういうことだったなあと、改めて気付いたのです。


自分が見たいメディアが無ければ、自分がメディアを作るしか無いし、自分が楽しい物がなければ、自分がそれを作るしか無い。かもしれない。という、頭でわかったつもりになっていたことを、身体を持って知らされた気持ちでした。

庄内空港から東京便しかないのが不便なら、日本中から飛行機がやってくる「価値がある」庄内にするしかないんです。頭では分かっていたんですが、具体的な一歩が、最近、色んな角度の出会いがあって、踏み出せました。


昨年のユアターンサミットで、恥ずかしげもなく自分のことを話して以来、2014年は素晴らしい出会いに満ち溢れた1年になりました。これに関しては、会場で熱烈不肖の話を笑って聞いてくださった方々と、特段、まいもさんへの感謝しか無いです。

例えば人前で何かを語ろうとするとき、思わず、自分の肩書がある「仕事」や「実績」について語るのが当たり前になっていたのに、何かを間違えて、肩書も実績もない「僕という人間が思うこと」を話してしまった結果、何故かそれがとても受け入れられて、農業者以外の出会いを生みまくる、という奇跡を見ました。

東京で、ワークを持たず必死にパーソナルで勝負せねばと怯えていた僕は、こっちに帰ってきて、ワークを持った安心感からか、パーソナルの発信を怠っていました。仕事してればいいんじゃないのそれなりに充実しているし。

それが、山形で、ワークではなくパーソナルで承認を頂く、というのは、なんだか気恥ずかしいような気持ちもありつつ、かつての自分に教えられているような気持ちもありつつ、つい最近まで戸惑っていました。

大学も行かず、流浪の民として延命していた自分の隠れたキャパに本当に救われています。恥ずかしながら。

仕事を仕事だと思ったことも、実はあんまりありませんし、プライベートとソーシャルの垣根も、二十歳くらいから崩壊しっぱなしのような気がします。「仕事休みですか?」や「何時まで働いてるんですか?」という質問に、上手く答えることが出来ません。これは、上出来だろうと感じています。

これからもずっと、働きながら遊び、遊びながら働きたいです。仕事の反語が遊びではなく、仕事の同義語が遊びになるまで、スタンスを調整したいです。

熱く熱く書いた部屋シェア計画や、本を作る計画も、形を変えて、いまも進行しています。

ヤりまくり人生は、幸いまだまだ続きそうです。